松浦司教 2021年 新年あいさつ

今は、待ち望む時、活かすべき時

教区司教 松浦悟郎

皆さま、新年おめでとうございます。
昨年はコロナ禍の中で大いに揺れた一年でした。パンデミックという、言葉としては知っていても、実際には経験したことのない事態が起こり、教会もその影響を強く受けました。今まで、日曜日になるとあたりまえのように教会に行ってミサで祈り、皆と分かちあってきたことができなくなったのです。会議、行事、聖書研究、キリスト教入門講座などの教会の大切な活動が難しくなり、特に、病気や高齢のために病院や施設などに入所しておられる方々への訪問が厳しく制限され、共同体との交わりが極端に減ってしまったことなど、心痛むことが多くありました。
一方、厳しく制限された中でも「新しい生活様式」を模索する動きは教会でも見られました。いろいろな小教区やグループがオンラインでミサや子どものためのプログラムを実施したり、教区の青年たちが工夫して全国の青年の集まりを実行したりしました。また、外国人グループが困難な中にある自国の人たちのために国内、国外を問わずに支援活動を行いました。
こうした中、今年は以下の三つのことを心に留めて皆さまと共に歩みたいと思います。

1. 新しい方法でのつながりを
新型コロナ感染症の一番の問題は、人間にとってもっとも大切な「つながり」を媒介に拡散し、人と人とを分断させていくことです。したがって、「コロナと闘う」ということは「感染しない」「感染させない」というだけでなく、つながりを切らないこと、むしろ新しい方法でつながりを広げていくことにほかなりません。特に、日常的につながりが困難な場に置かれている人たちに積極的につながっていきましょう。


2. 新しい日常に向けての大切な時
コロナが落ち着いた後、必ず日常に戻ります。ただ、それはコロナの前の日常とは大きく異なる「新しい日常」です。もしかしたら、これまでの日常で大切だったことが失われてしまったにもかかわらず、そのことに気づかないまま、新しい日常が始まっているかもしれません。このコロナで何を失いつつあるのか、何が新しい希望になるのかをしっかり見極め、新しい日常に備える必要があります。

3. 今は待ち望む時
 かつてのキリシタン迫害の時代は、教会に行くこと、信仰すること自体が禁じられ、ときには殺されるという時代でした。キリシタンたちは、いつか自由に神さまを信仰できる時がきてほしいと「待ち望んだ」ことと思います。私たちは今、コロナ禍の中で、そのことの小さな追体験をしているのかもしれません。日本における真の信教の自由は、戦後、すなわち日本国憲法の施行まで待たなければなりませんでした。それを思えば、自由に信じられるということは、じつに400年以上待ち続けた悲願だったのです。今、自由に信仰できる時代になったとはいえ、しっかり受け継がれているかどうかを反省します。
コロナ禍でミサがなかったり制限されたりするこの時に、いつか何の制限もなく教会に行くことができ、神さまを賛美できる時を心から「待ち望む」ことで信仰をつないでいきたいものです。

松浦司教 新年あいさつ 2021

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