TOP画
主の降誕(2016年12月25日 <ルカ 2・1-14>)

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

先日、富山地区のひとつの教会である魚津教会に打ち合わせがあって訪れたときのことです。魚津教会には同じ敷地内に幼稚園があります。実はこの幼稚園は来春閉園を迎えます。多いときには100人を超える園児が在園していたこの幼稚園も、今では最後の園児5名を残すのみとなっています。

  ちょうど訪れた際に、その5人の園児たちがホールでクリスマス聖劇のリハーサルをしていました。先生のお誘いもあって一足早く観させていただくことができました。

  5人による聖劇です。配役はマリアとヨゼフ、宿屋の主人、天使と羊飼い。それだけです。聖劇のシンプルな配役に、あらためてクリスマスの出来事で大切なことを思い起こさせてくれました。

  昨年も名古屋のある幼稚園のクリスマス会で聖劇をみさせていただく機会がありましたが、きっと多くの幼稚園が、園児が多いので、天使がたくさんいたり、羊を配役したり、星の役がいたり、博士たちの登場場面をつくったりもすることによって、微笑ましく、かわいい、華やかな演出となると思います。

  もちろんこの5人の子どもたちの一生懸命な姿も微笑ましかったですが、それ以上に、幼子イエスの誕生が、決して華やかな登場なのではなく、小さく貧しいかたちでわたしたちのうちに来て下さったことを感じとることができる聖劇でした。

  わたしたちのクリスマスは、やはりどこかあたたかな雰囲気の中で迎えるイメージです。それも大切なことですが、私たちが外の世界を忘れて、「クリスマスパーティーは何にしようか」、「プレゼントはどうしようか」などと自分のことだけで浮かれ過ぎていると、聖書が伝えようとする救い主の降誕のメッセージ、神がわたしたちに伝えようとしていることを台なしにしてしまっているかもしれません。

  救い主の誕生は、身を寄せる宿もなく、寒空のもと、ベツレヘムの小さな馬小屋からはじまりました。この世界の最も過酷な状況の中で、そして、死に至るまでその光を輝かせ続けてこられました。また、それは神が人間の現実の生活をしっかりと受け止めてくださっているという証しでもあります。

  先ほどの5人の園児たちは、聖劇の最後に『もろびとこぞりて』を元気よく歌い、次のような言葉を5人一緒に声を合わせて祈りながら聖劇を締めくくっていました。「わたしたちの心の中にも、いまイエス様がお生まれになりました。これからも世界が平和になるように、見守っていてください。わたしたちも優しい心をもって、イエス様への賛美と感謝をささげます。」と。

  わたしたちもその喜びを感じ取っていられるでしょうか。幼子イエスさまはいまも飼い葉桶の中からわたしたちに語りかけています。さまざまな現実を生きる私たちの中に、あの最初のクリスマス以来、神のいのちが生き続けていることに、あらためて心の目を向けていきたいと思います。

富山地区 片岡 義博 神父