年間第20主日(2022年8月14日 <ルカ 12・49-53>)

〔そのとき、〕イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。 「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」

私は、秋田の出身ということもあって、8月14日と聞くと、土崎空襲のことを思います。

77年前の終戦前夜のことでした。秋田市の土崎地区は陸海の交通の要衝で、大規模な製油所があったので、そこが標的にされたのです。100kg爆弾7,360発、50kg爆弾4,687発が数回にわたって投下され、標的になった製油所は全壊、港、市街地は大きな被害を受けました。死者は250人以上、負傷者は200人以上とされています。「もっと早く戦争が終わっていたら、こんな被害は出なかったのに」と思うのは、私だけではないでしょう。きっと被爆地広島・長崎の人たちも同じような思いを抱いているのではないでしょうか。

今日の福音に登場するイエス様は、貧しい人や病人に接する時の優しいイエス様ではなく、世の終わりの裁きについて警告をする厳しいイエス様です。火による裁き(49節)、イエス様の死の予告(50節)、家族の分裂(51-53節)、いずれも世の終わりの裁きにかかわる内容です。しかし、その厳しさも私たち一人ひとりの人間のことを思っての厳しさだと受け止めると、一見厳しく感じる表現の中に救いのメッセージを読み取ることができるのではないでしょうか。つまり、世の終わりの裁きの時に神様の前に胸をはって立つことができるように、十字架上で死んで復活されたイエス様を通してもたらされた永遠の救いの喜びに与ることができるように、それぞれの生き方を見つめ直しなさいということです。

冒頭に紹介した土崎空襲にしても、戦争の悲惨さ・平和の大切さを学ぶ一つの反省材料だと思います。志半ばで空襲の犠牲になってしまった人たちのためにも、私たちは平和な世界を築き上げていく使命を担っているのではないでしょうか。

第2次世界大戦(太平洋戦争)が終わって今日に至るまでの77年、幸いにも私たちが暮らす日本では対外的な戦争はしていません。しかし、バブルが崩壊してからの30年間、経済不況の中にあって、日々の生活の苦労は絶えません。自分のことだけで精いっぱいで周りのことを考えるゆとりが出てこないこともあろうかと思います。そういった中で、ウクライナ侵攻など世界各地で起こっている戦争に対して、何かをするということは難しいことです。比較的取り組みやすい署名や募金活動も、被災地の支援に繋がりますが、戦争が終結しそうにない状況が続くと「署名や募金活動にどれだけ効果があるのか」、「個人の力ではどうしようもない」と行き詰まりを感じてしまうこともあろうかと思います。

しかし、このような無力な私たちに寄り添ってくださるのもイエス様ではないでしょうか。今日の福音で取り上げられている火による裁き、イエス様の死の予告、家族の分裂が、神様の救いのご計画に組み込まれているものであり、特にイエス様の十字架刑が、困難な状況に置かれている私たちと連帯するしるしだとしたら、どうでしょうか。私たちもあきらめずに、毎日の務めを誠実に果たしつつ、平和のために自分たちにできることを模索し、どんな小さなことでもできることから取り組んでいく心意気で十字架を背負われるイエス様の思いに応えていきたいものです。

イエス様が投じる火は、裁きの火ですが、それは同時に聖霊の燃える炎をも指しているのではないでしょうか。イエス様が「平和ではなく、分裂をもたらすために来た」とおっしゃるのも、うわべだけではない本当の意味での平和を手にするために、現実としっかり向き合うことの大切さを教えているのではないでしょうか。なかなか難しく勇気のいることですが、裁きの火は、私たちを励ます聖霊の恵みの炎となり、私たちが現実と向き合うことによって生じる分裂は、時間がかかるかもしれないけれども、本当の意味での平和をもたらす力強い絆に変えられていくことを信じたいと思います。

 明日8月15日は終戦の日で、日本カトリック平和旬間の締めくくりの日、また聖母の被昇天のお祝い日です。今一度、77年前の敗戦の時から今日に至るまでの日本の歩みに思いを馳せ、平和な世界を築き上げていく決意を新たにしましょう。この世に生きる私たちも、私たちに先立ってこの世を去った人たちも、イエス様を中心にして一つに結ばれています。私たちは、ひとりぼっちではありません。どうぞ私たち一人ひとりが、イエス様にすべてを委ね、日々の生活で出会う人たちと力を合わせ、平和の道具として働くことができるよう、マリア様の取り次ぎを願いましょう。
長浦教会 松本 勝男 神父