Catholic Diocese of Nagoya

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2024年12月28日

通常聖年開幕司教メッセージ「希望の道をともに」

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2024年12月29日 通常聖年開幕

希望の道をともに

教区司教 松浦悟郎

はじめに

今年5月9日に、教皇フランシスコは、教会の伝統に従って、2025年を「聖年」とし、2024年12月24日に開幕すると正式に発表しました。聖年というのは、教皇が25年ごとに宣言する「聖なる年」のことです。聖年には、25年ごとに行われる「通常聖年」と非定期的に宣言される「特別聖年」があります。10年前の2015年に行われた聖年は不定期的な聖年で、「いつくしみの特別聖年」と名づけられました。また、名古屋教区でも2022年に教区設立100周年を迎えた際に、名古屋教区だけで行われる「教区聖年」を宣言し、皆さまと共に刷新の年を過ごしたことを思いだします。

今年、主の降誕を祝う12月24日に、教皇フランシスコはバチカンにて世界に向かって聖年が開幕されたことを宣言しました。また、「部分教会」と呼ばれる世界の各教区では、今日、12月29日(聖家族の主日)に一斉に開幕しますが、私たちも世界中の教区と心を合わせて聖年の歩みを始めることになります。

 

希望のしるし

教皇フランシスコは、聖年を布告する「希望は欺かない」というタイトルの大勅書を発表しました。混とんとした世界状況にあって、聖年がすべての人にとって、希望を取り戻す機会となるようにとの思いがこもった書簡です。私たちは、将来が予測できないために恐れや不信、落胆に陥りがちです。今後の生活の不安、能登大地震に続く災害や南海トラフ地震への恐れ、分断され、暴力的になっている世界情勢など、数え上げれば限りがありません。その現実の中にあっても教皇は私たちに、まず希望の言葉に立ちかえろうと呼びかけているのです。その原点は、「どんな被造物も、主イエス・キリストによって示された神の愛からわたしたちを引き離すことはできない」(ローマ8:35~)という信仰です。ちょうど、聖年のロゴに、人々が海の上で、錨(いかり)となっている十字架をつかんでいる絵が描かれていますが、それは信仰のしるしだけでなく、希望のしるしとして表現されているとおりです。

 

現実の中で希望を実現していくために

私たちは現実の中でこの信仰の上に立ち、また揺らいだ時にはそこに立ちかえることで希望の道を歩んでいくことができるのです。教皇はいくつかの具体的な事象を示しながら、私たちへの行動を呼びかけています。特に、希望を失いがちな現実をあげていますが、ただ、問題を指摘するだけではなく、その中で、キリスト者の共同体が「確かな希望のしるし」となるように訴えています。

教皇は、聖年のはじめの12月26日にローマの刑務所に赴き、全世界で収監されている人々のために「確かな希望のしるし」として聖なる扉を開くことを発表されました。」(カトリック新聞11月17日)それだけでなく、彼らが償いの道を歩みながらも希望を取り戻せるよう、社会復帰させる施策を各国政府に呼びかけることにしています。

教皇の具体的な呼びかけは、さらに「貧困のスキャンダル」と戦争の恐怖を非難し、その他、病者、若者、移住者、高齢者、貧しい人々などに及んでいきます。これらの項目は、すべて今の日本の深刻な問題でもあります。特に、平和に関しての教皇の呼びかけは、防衛費を倍増し続けている日本にとって重要な指摘ではないでしょうか。教皇は次のように提案します。

「武器やその他軍事費に使われているお金で、国際基金を設立しようではありませんか。飢餓撲滅のために、そして最貧国の発展のために、そうして、その国の住民が暴力的解決や空振りの解決策に頼らなくてもよいように、より尊厳のある生活を求めて国を離れる必要がないようにです」。

私たちはこうした教皇の呼びかけを、今の日本で、自分の立っている生活の場で、個人として、共同体として受けとめ、実行していかなければ意味がないのです。

 

聖家族の一員として希望の道を

聖年の開幕となる今日は、聖家族の主日です。聖家族とは、すべての人を救うために人となられたイエスと、そのイエスと共に歩むよう招かれたマリアとヨゼフの絆の姿ですが、それは同時に、私たちがキリストを中心にそれぞれに与えられた使命を共に生きる共同体の姿を象徴しています。この世の家族は、一人ひとりが無条件に愛され受け入れられる関係性によって人間として成長していく大切な場です。もちろん、現実にはさまざまな事情で幼い時からそのような家族に恵まれない環境に置かれた子どもたちも多くいます。にもかかわらず、子どもたちは善意の人々や社会的支援によってつくられた「無条件に受け入れられる場」で豊かに成長することができます。そして、人はその受け入れられた場があるからこそ、他者を受け入れる開かれた関係を生きることができます。そればかりではなく、人は最終的には血縁関係を超えた他者とのつながり(共同体)の中で生きることになるのです。こうして、すべての人が、地縁血縁だけに留まるのではなく、それらを超えて互いを大切にしあい、共に生きる共同体となっていくことが、旧約時代から神が導こうとしていた「約束の地」、すなわち神の国の完成の姿なのです。そのためにキリストは人となって聖家族の中に生まれ、いつの日か、すべての人が神の家族となるようマリアとヨセフと共に歩まられたのです。

混とんとした社会にあっても、いたるところでこの「約束の地」のために働き行動している人は宗教を超えて大勢います。これこそ希望のしるしです。私たちはこの善意の人たちと連帯しながら、「希望の巡礼者」として聖年を共に歩んでいきましょう。

今日からはじまる聖年を通して、この世界に希望の種がまかれ、希望が現実のものとなりますように。