Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

年間第22主日

2025年08月31日

福音箇所 ルカ14.1、7-14

安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

メッセージ

担当者 城北橋教会 レイナルド ティボン

 最初に、きっと皆さんもどこかで聞いたことがあるお話しから始めたいと思います。
 ある日、雄々しいワシが高い木の枝にとまって休んでいました。下の地面には、1匹のミミズがゆっくりと這っていました。それを見たワシは、誇らしげにミミズを見下ろしてこう言いました。「なんてみじめな人生なんだ。お前は地面を這うことしかできないじゃないか!」そしてワシは、堂々と翼を広げ、空高く舞い上がっていきました。自分の力と偉大さを誇らしく思いながら。
 ところが突然、下から矢が飛んできてワシを撃ち抜きました。立派なワシは地面に落ち、翼は折れ、プライドも打ち砕かれてしまいました。死にかけたワシのそばに、あのミミズが這ってきて、優しくささやきました。「飛ぶのは素晴らしいことだけれど、時には地面に近くいる方が賢いこともあるんだよ」と。
 今日の朗読、とくにルカによる福音書は、まさにこの真理を私たちに教えてくれています。誇り高ぶるよりも謙遜に歩むほうが良いのです。
人間の心の中には、「認められたい」「尊敬されたい」「名誉ある場所に座りたい」という欲求がしばしばあります。会議で最良の席を求める人、学校で目立ちたがる生徒、教会でも目立つ役割を好む人々などです。今日の福音でも、イエスはある食事の場面で、人々が上座を選んで座ろうとしている様子に気づきました。そしてイエスは、驚くようなことをおっしゃいました。「招かれたときは、いちばん低い席に座りなさい」と。
 なぜでしょう?それは、自分で自分を高めようとすると、恥をかくことがあるからです。しかし、謙虚さを選ぶ者は、神ご自身が引き上げてくださるのです。この問題は昔からあります。イエスの弟子たちも、「誰が一番偉いのか」と口論したことがあります。子どもたちも「誰が一番速いか、強いか」と競い合います。大人たちも、家、仕事、SNSのフォロワー数、成功を比べてしまいます。
 けれどもイエスは言います。「自分を低くする者は高められる。」
 ここで、謙遜が本当に意味するものをはっきりさせましょう。
 謙遜とは、自分には価値がないと思うことではありません。謙遜とは、自分の価値は神から来ており、他人の承認から来るのではないと認めることです。
それは、こんな日本のことわざにもよく表れています。「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」
実れば実るほど、稲は頭(こうべ)を垂れます。人もまた、祝福を多く受けた者ほど、感謝とへりくだりの心で生きるべきなのです。
現代社会では、自分の成功やフォロワー数、有名さを見せたがる風潮があります。でも、本物の謙遜は静かで、目立たず、気づかれにくいものです。しかし、それは同時に、とても強く、美しい生き方でもあります。
 では、どうすれば日常の中で謙遜を生きることができるでしょうか?学校では、困っているクラスメートを助けても、それを自慢しないこと。教会では、人に見られない掃除や奉仕を喜んで引き受けること。家庭では、間違ったときに「ごめんなさい」と素直に謝ること。地域では、誰も気に留めないような仕事をしている人に「ありがとう」を伝えること。たとえば、道端のゴミを拾ってくれるご近所さんに感謝の気持ちを伝えること。
 ベトナムの言葉に美しい表現があります。“Khiêm tốn là đức tính của người khôn ngoan.”「謙遜は、賢い人の美徳です。」
私たちが神との関係を深めるほど、自分の小ささと神の愛の深さを知ります。
 最後に、もうひとつのお話しで今日のテーマを締めくくりましょう。
 ある日、2羽のカモが川の上を飛んでいました。すると下の地面に、「自分も飛んでみたい」と思っている小さな犬がいました。カモたちは犬を気の毒に思い、ロープを垂らしました。犬はそのロープを口でしっかりくわえて、なんと空を飛び始めました。それを見た畑の農夫が、驚いて叫びました。「なんて賢いアイデアだ! 一体、誰が考えたんだろう?」すると犬は、自分のアイデアだと誇りたくなり、口を開けて「ぼくが—!」と叫びました。…もちろん、ロープを離した犬は地面に真っ逆さまに落ちてしまいました。
 私たちも栄光を自分のものにしようと必死になると、落ちてしまいます。しかし、地に足をつけて生きるとき、神さまは私たちを思いもよらない高みへと引き上げてくださいます。