Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

年間第5主日

2026年02月08日

福音箇所 マタイ5・13―16

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

メッセージ

担当者 港教会 山野 聖嗣 神父

みなさん、こんにちは。
今日は、年間第5主日となっています。2026年も、あっという間に1ヶ月が過ぎ、2月に入りました。私の感覚では、毎年、冬の寒さも2月がピークでだんだん春へと向かっていくような気がします。1597年の2月5日、今から約430年前に日本で初めてカトリック信者が殺されました。処刑された理由は、すなわち罪状書きは、カトリック信者だから、ただそれだけです。皆さんもご存じの通り、26聖人が殉教した日が2月5日です。ちなみに、私の両親の結婚記念日が2月5日なので、覚えやすいのですが、私の父や母は、殉教者の精神で悪ガキ5人たちをよく育てたものだなと大人になった今では感謝の気持ちでいっぱいです。余談になりましたが、約43年前に日本の政治を仕切っていたのが豊臣秀吉でした。秀吉は、現在の名古屋市中村区にある中村公園の近くで、木下家の長男として生まれています。中村公園内には、豊国神社や秀吉の記念館もあるようですが、私は、まだ行ったことがありません。義務教育の学校教育の日本史で習う織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3代将軍たちがこの愛知県で生まれです。そして今、私がこのように、迫害も受けることなく、愛知県内で平和にミサを捧げられることに不思議な感じがします。約430年前から始まるキリスト教迫害時代には、考えられないことだと思います。織田信長の死後、日本の国を治めていた豊臣秀吉は、長崎の港の外国貿易船から、わざと見えるように港の高台の処刑場で、この26人のカトリック信者を十字架にはりつけて、槍で刺し殺しました。この26人の殉教者をきっかけに、明治時代までの約270年もの間、全国各地で、キリスト教迫害と処刑が続いていきます。毎年、長崎教区では、教区行事として、26聖人の殉教記念ミサが例年通り行われます。豊臣秀吉は、なぜ、「キリシタン大名の規制」や「バテレン、いわゆる宣教師追放令」出したのでしょうか。フランシスコ・ザビエルが日本に宣教に来てから、38年経ち、日本中で30万人もの日本人が洗礼を受けています。しかも、庶民だけでなく、名古屋教区にも関係のある列福高山右近などの多くの大名までもが洗礼を受けていました。そのため、秀吉は、これ以上、キリスト信者が増えていくことを怖がり、またキリスト教国が日本を占領してしまうのではないかと疑っていました。そこで、見せしめのために外国船が見える高台で26人のカトリック信者を殺したと考えられています。秀吉は、全国から京都に来ていた12歳から60代の男性24人を無差別に逮捕します。そのうち、12歳のルドビコ茨木を始め、鈴木パウロ、烏山レオン、茨木パウロ、竹谷コスメの5人は、愛知県一宮の尾張出身です。1月3日に24人は、京都で左の耳たぶを切られ、牛が引く8台の荷台に3人づつ乗せられて、京都と大阪の町を引き回されます。そして、1月8日に秀吉から、「24人を長崎ではりつけよ」と命令が下ります。死刑の宣告です。京都からついて来ていた2人の青年も、途中から仲間に入り、26人になります。26人は、2月5日までの約1カ月をかけて、寒い冬空の下、雪降る中、大阪から長崎の処刑場まで歩いて連行されます。長崎の26聖人の公園に飾られている26人の像の内、2人だけが左の耳たぶを切られていません。もし、長崎に行かれる機会があるなら、どの殉教者が後から加わった信者なのかを探されると良いかもしれません。26人の内、京都6人、愛知県尾張から5人、三重県伊勢から4人、長崎県2人、スペイン人4人、メキシコ人1人、ポルトガル人1人、大阪1人、兵庫県1人、岡山県1人と、26聖人の3分の1にあたる9人が愛知県と三重県から、日本最初の殉教者として聖人となりました。しかし、豊臣秀吉の思惑とは、裏腹に、30万人いたカトリック信者が、26聖人の殉教する神様への信仰の姿を目撃して、数多くの人たちが洗礼を受けています。また、10年後の徳川家康の時代、カトリック信者の人口は、75万人と豊臣秀吉の時代よりも倍以上にキリスト信者が増えています。キリスト信者を迫害し、殺せば殺すほど、それを目撃した日本人たちは、感動のあまり洗礼を受けています。そして、全国に拡散しています。名古屋教区では、東別院にある栄國寺のキリシタン処刑場後地で毎年、教区行事が行われます。江戸時代、2000人以上のキリスト信者が処刑され、100メートル四方の穴に埋められたという話を聞きました。足元の下には400年前に殺されたキリスト信者の先輩方の体が埋められていると思うと、先輩方の信仰に感動し、お祈りを捧げます。日本の26聖人の処刑責任者は、佐賀の唐津で12歳の尾張出身のルドビコ茨木を助けようとキリスト教を捨てるようにと説得しますが、12歳の少年は「この世の短い命と、永遠の命とを取り換える訳にはいきません」ときっぱりと断っています。私が、12歳の時、こんなことが言えたかなと自分の神様への信仰が恥ずかしくなります。
今日の福音書で、イエス様は、「人々が、あなた方の立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるために、あなた方は、地の塩、世の光となりなさい」と私たちに言われています。命を狙われるキリスト教の迫害は、現代の日本社会にはありません。しかし、永遠の命があることを伝えるために、私たちは、目に見える信仰共同体の中で、特に名古屋教区の各小教区の信仰共同体の中で、外の暗闇の中にいて、神様の家に帰る道が見つからない人たちのために、私たち1人ひとりが良い行いを実行して、神様に導いていくことができますように、日本の26聖人殉教者の取り次ぎを願いましょう。