「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(Jo .15,17)とイエスの言葉を今日も聞きますが、この美しい言葉を新しく意識しましょう。けれども、現在の世界を見ると、まるで反対社会があるように気がします。時には笑いや喜びを失うことがあるかもしれません。戦争の多い世界になったと言えるからです。方々の争いや誤解を身近に感じ、いろんな問題と戦う教会もその発展を観察したり、現在起こっている社会の変化を観察したりしてください。
このさ中で、人々は春の訪れ、子供の進学を楽しんできました。キリスト信者は復活祭と復活節をお祝いしているところです。本当にキリストの復活は私たちが喜びを感じる最も深い理由です。神ご自身が人々を愛し、神との交わりに招いておられるので、喜んで、また心をもって祝うすべきです。本当は毎日曜日は主の日、即ち「主日」で主の復活を祝います。キリストの名によって集まってきて、み言葉を聞き、感謝をささげます。そこから人生は喜びと感謝になります。「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
信仰と喜びは深く結びついており、強化します。繰り返しますが、「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」と主イエスの言葉をもとに、互いに支え合いながらも、日常生活の中で心の喜びを失い、愛に欠けるようになりつつあります。そこで、新しく始める恵みを神が私たちに主キリストを通して与えてくださいます。春の訪れとともに、いのち、かも永遠の生命をもたらす復活祭はこの新しいスタートを語り、切っ掛けになります。
神の愛、相互の愛、さらに信仰の喜びは「ともに」あります。この「ともに」とは、最近よく使用する「シノドス」のことだと思います。それはともに道を歩む意味がありますが、「シノダル教会」と呼ばれることになるでしょうね。わたしの個人の理解で、簡単に「席」で説明します。教室のように教会は一人が前の所から教え、皆が四角のテーブルに座る形になっています。今度は皆が教師と丸いテーブルを囲んで座って聞いたり、学んだりして、ともに神をたたえつつ、敬い、愛する形ですね。
実際は、この形は第二バチカンの典礼の変更から始まりました。当時まで司祭の背中を見てミサを祝いました。信者はラテン語がわからないで、ロザリオをはじめ、個人の祈りを捧げました。第二バチカンの時から、司祭の顔を見ながら、祭壇を囲んで、神の言葉を聞き、神に感謝の義をわかる言葉で行うことになりました。聖職者の念を大切しながら、何より先に洗礼の大きな恵みを取りだした結果です。一緒になって、一緒に祈り、考え、奉仕することに務めます。これは、去年の秋にローマのシノドスの会議の形でした。「シノダル教会」の姿が見えるになります。「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」このように、丸いテーブルを囲む今年の秋に行われう第二セクションの「シノドス2024」は大きな喜びと希望であり、復活の輝きを示します。