Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

三位一体の主日

2024年05月26日

福音箇所 マタイ28・16-20

〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

メッセージ

担当者 神言修道会 ビリヤコルタ・ジョナサン・レイ・オリベロス 神父

三位一体の神秘を考えて、その神秘をどういうふうに説明するかと悩む時に、聖アウグスチヌスの有名な海辺での幻を思い出します。皆様も、その物語をご存知かと思いますが、聖アウグスチヌスが、『De Trinitate』『三位一体について』という本を書いている時に、海辺で歩いて黙想したそうです。そして、歩いている途中、聖アウグスチヌスは、一人の子供が一つの貝殻で水を汲んで、汲んだ水を小さい穴に注いでいるという不思議な出来事を見ました。聖アウグスチヌスが子供に「何をしているのか」と尋ねたら、子供は次のように言いました。「海のすべての水をこの穴に入れている。」もちろん、聖アウグスチヌスは、「それは、無理だね」と普通に反応したが、子供のそれに対する返した答えは普通ではありませんでした。「そうだね。しかし、あの海をこの穴に移す方が、三位一体の神秘を完全に理解するよりも、早いかも。」三位一体の神秘を考えて、その神秘をどういうふうに説明するかと悩む時に、聖アウグスチヌスが出会ったあの子供の言葉で慰められます。しかし、その慰めの存在は、瞬く間のようです。だって、こういうことを言われた聖アウグスチヌスは、『De Trinitate』を諦めるどころか、ほぼ500ページも書いたもの。なので、私も、諦めるのではなく、500ページの書物は無理ですが、せめて、足掻いて、足掻いて、足掻いて捲って、三位一体について考えるぐらいはできると思います。そして、考えたことを皆様に分かち合うということなら、不可能なものではないかと思っているのです。
 さて、イエス様のみ言葉を通して、三位一体について言えることを考えてみましょう。キリスト者の私たちは、厳密にいえば、カトリックの私たちは、唯一の神を信じています。三つの神ではなく、唯一の神を信じることは、私たちの信仰生活にとって、欠かせない事実です。しかし、この唯一の神は、三つの位を持っているとしてのご自分を私たちに啓示してくださったのです。つまり、私たちは、この唯一の神が、父、子、聖霊という三つのペルソナを教えられたというわけです。そして、唯一の神が三位一体であることをはっきりと私たちに示したのは、イエス様です。イエス様は、神様のことを父と呼んでいました。考えてみれば、これは、そこまで特別なことではありません。旧約聖書でも、万物の造り主である天の神様が全てのものの父親として理解されています。しかし、福音でも見られるように、イエス様と天におられる神様の関係は、ただの造り主と創造物との関係ではなく、より親密な関係であることは、私たちも、感じるはずです。ヨハネ福音書の美しい箇所、その一つを引用したいと思います。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。」このイエス様の言葉からすると、イエス様は、ご自分が隠喩的な神の子であるということではなく、神である御父の真の子であることを主張していらっしゃるのです。しかし、この同じ御子であるイエス様は、次のことも仰います。「私を見た者は、父を見た。私と父とは一つである。」なので、イエス様は、神である御父の独り子だけではなく、御父と同じ本性を持っている神である真理を私たちに解き明かしてくださるのです。そして、これからも、この真理を私たちに語るのは、この真理を私たちに理解させるのは、人格化した御子と御父との愛であり、神である聖霊です。イエス様は、また別の箇所で聖霊について次のように語ってくださいます。「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」しかも、イエス様によると、同じ神である聖霊が、私たちを「導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。」イエス様は、聖霊が人格を持っていること、位格であることをその二つの引用で私たちに教えてくださいます。それに、聖霊の大切な役割をも教えてくださるのです。聖霊が私たちに思い起こさせるのは、イエス様がお教えになったこと、特に、愛の掟のことのではないかと思います。そして、私たちは、聖霊によって教えられるその愛を行うたびに、父と子と聖霊の愛の内に生きるのです。私たちがこの愛に与り、そして、同じ愛を隣人に与えることができるよう、三位一体の祭日を祝いながら、三位一体の神の豊かな恵みを願い求めましょう。