Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

主の公現

2006年01月04日

福音箇所 マタイ 2・1-12

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

メッセージ

担当者 金沢教会 窄口 松雄 神父

 今日は主の公現の祭日です。一つの星が東方から現れ、ことばが肉をとって誕生した場所に占星術の学者たちを導きました。占星術の学者たちがユダヤの王として生まれた方を拝みに来たことを祝います。
 私が子どもの頃の馬小屋の学者たちはご公現まで不在でした。この日、初めて学者たちが来るのです。大人になって都会へ出て、クリスマスを迎えると馬小屋にはすでに学者たちがいます。誰かが博士たちは後からでないのと言いました。飾った人も聞いた人も沈黙のままでした。
 私たち日本の信者は兄弟である東方カトリック教会と交わりがありません。日本に東方カトリック教会が北海道、東京、京都にもある事を知らない人が多いと思います。京都の東方カトリック教会の司祭とお話をしたとき、日本は北から東方カトリック教会、西方カトリック教会は南からですね。という言葉が残っています。
 その北のウクライナ東方カトリックの信者は1月6日にご公現のお祝いをします。戦争が始まってご公現をローマカトリックと同じ12月25日に祝いました。このことは人々の心に残っているでしょう。プーチンはロシア正教を公認しながら、ウクライナの信者をも攻撃し、人の命、人の尊厳を知らないまま、平和条約を結ぶでしょう。軍事侵攻をされ、身内の人や友が命まで奪われた後でご公現を1月6日に祝うことができるのでしょうか。それとも、この受肉の神秘をローマカトリックと同じように続けていくのでしょうか。ロシアの信者の声も聴きたいと思います。公会議の東方カトリック教会に関する教令の中に「典礼儀式の諸伝統はそのままに、完全に存続することを望む」とあり、私も同じ思いです。この世の終わりのような時こそ、星を見つめつつ目を覚まし、祈らなければならないでしょう。
 「闇の中に座していた諸国の民は大いなる光を見た。死の影の地に住む者の上に光が輝いた。」ローマカトリック教会と東方カトリック教会に同じ光が輝いているのです。学者たちが見たその光は救い主へと導いたのです。私たちもその信仰の光が恵まれ、救いの約束を知るのです。この喜びは皆に共通です。個別的にも今、苦しいかもしれません。その顔を兄弟に表すことなく、あなたが生まれ、今、ここにいる喜びの顔を星とともに生きられたら、素晴らしいですね。障害がある人へも、自閉症の人へも、全て出会う人にも命の救い主を見るのです。その星の恵みに感謝をささげます。生まれてきてありがとう。