Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

四旬節第1主日

2026年02月22日

福音箇所 マタイ 4・1-11

〔そのとき〕、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、”霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。
「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
『神があなたのために天使たちに命じると、
あなたの足が石に打ち当たることのないように、
天使たちは手であなたを支える』/と書いてある。」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
すると、イエスは言われた。
「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

メッセージ

担当者 布池教会  岩﨑一二三神父

 今日の福音箇所はマタイ4章1節から11節である。1節の「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、霊に導かれて、荒野に行かれた」で始まり、11節の「そこで悪魔は離れ去った。すると天使たちが来て、イエスに仕えた」で終わる。
 悪魔の誘惑は3つある。①石をパンに変えること、②神殿の屋根から飛び降りること、③悪魔を拝むこと、すなわち経済的豊かさ、宗教的名声、政治的権力による誘惑ということであろうか。イエスはこれらの誘惑を拒否し、神を試みず、神の言葉に生き、神の御に仕える生き方を選んだ。
 プロテスタントの神学者、故北森嘉蔵師がその著書「マタイ福音書講話」の中で次のように述べている。「誘惑というのは、誘惑されていく可能性、傾向がないと無意味なのです。・・・
したがってイエスが誘惑にあう時も、次々に現れる3つの誘惑の材料はことごとくイエスがそちらの方に傾いている材料が使われている」と。
 人間イエスと共に、わたしたちも同じ誘惑を担い、それに打ち勝ち、乗り越えてゆく力と助けを父なる神に祈り求めながら、信仰の道を歩み続けたい。