Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

年間第19主日

2024年08月11日

福音箇所 ヨハネ6・41-51

〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

メッセージ

担当者 北陸ブロック富山地区 オディロン・金 一 神父

日本カトリック教会は1981年聖ヨハネ・パウロ二世教皇様が来日され「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と言われた平和へのメッセージから毎年8月6日から15日までの10日間を「日本カトリック平和旬間」と定めました。

平和は単に戦争のない状態ではありません。
聖パウロ6世教皇様は1968年1月1日「平和とは生命と真理と正義と愛が持つ最も高く絶対的な価値を宣布すること」と言われました。
2014年、戦後まだ分断国家であり、植民地の痛みを抱えている大韓民国を訪問されたたフランシスコ教皇様も、ご自分の初演説で「平和は単純に戦争がないのではなく、正義の結果ですし、正義は過去の不義を忘れることはないが、許しと寛容、協力を通して不義を克服することを要求する」と述べられました。また 「平和とは相互誹謗と無益な批判や武力デモではなく、相手の言葉を辛抱強く聞き入れる対話を通して実現できるという確固不動の信念にその土台を置いている」とフランシスコ教皇様は改めて強調されました。

本日私たちは第二朗読、エフェソの教会へ送った手紙の中で「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」と言った使徒パウロの声を聞き、「つぶやき合うのはやめなさい」と言われたイエス様のお声をヨハネによる福音書を通していただきました。
イエス・キリストを天から降って来た生きたパンであると信じる私たちが、ご自分を命のパンとして私たちにくださったイエス様の愛に従い、まだ戦争や紛争が続けているこの世で、誠の平和が実現される私たち自分自身、家庭、共同体、世界のため、それぞれどのように歩むべきなのか黙想する恵み豊かな日々になりますように。アーメン。