Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

年間第14主日

2024年07月07日

福音箇所 マルコによる福音6・1-6

[その時]イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。 そして、人々の不信仰に驚かれた。 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

メッセージ

担当者 恵方町教会 ナジ・エデルベルトゥス神父

イエス様は聖霊に導かれて荒れ野で40日間」過ごされた後、ガリラヤへ行かれて福音を述べ伝え始められました。カファルナウムの聖堂の境内をはじめ、いくつかの所で奇跡をおこなわれたりされました。神の聖者(マコ1・35)と呼ばれた時があれば神の子(マコ3・22)と悪魔に認められた時もありました。その評判はガリラヤを超えて広まりました。エリヤ預言者がサレプタのやもめの息子を生き返らせたように(Ⅰ王17・17)、イエス様も会堂長の娘を生き返らせました(マコ5・21-43)。昔の預言者の一人が生き返ったと呟いた減収の人たちがいたかもしれません。
 イエス様はエルサレムへ向かう前に、ご自分の故郷であるナザレを訪問し、会堂で教えられました。今日の聖書の箇所ではナザレの住人はイエス様がお持ちになる知識と力がどこから得られたのかをはっきりわからないので不思議がっていました。イエス様はナザレ育ち、レビ族の人でもなかったのです。預言者になる資格はないはずだとベトレヘム生まれのことを無視したナザレの何人かの人は考えました。悪霊の力に影響されて他人に誹謗中傷を与える現代の人に似ているナザレの人たちもいます。サタンの影響を受けた世はイエス様を軽蔑し、預言者であることを拒んだというヨハネ福音書にある話はイエスの故郷の出来事にも当てはまります。
 ナザレの人たちはヨルダン川での出来事や神の自由な働きを知らなくて、自分の思い込みに影響されて逆らって反逆の民になります。なれ合いは軽蔑を生むということわざがありますが、イエス様が故郷で体験された何人かの態度は酷かったです。イエス様はエレミアをはじめ多くの預言者が体験したことを綺麗に言い表されました。「預言者は敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである。」ナザレの人のイエス様に対する行動に似ている試練はエルサレムにもある事をイエス様は預言者の知識で前もってご存じでした。エルサレムの議員も同じくイエス様はガリラヤ出身と思い込んでニコデモを叱りました。しかし怒りのあまりに正常に考えませんでした(ヨハ7・25)。イエス様は何でも知っていて(ヨハ7・7)、洗礼者ヨハネの証の正しさを確認し、洗礼者ヨハネより多くの奇跡を行われたことを知っている人たちはイエス様がメシアであることを信じました。(ヨハ10・42,マコ6・6)
 神よ、あなたの息吹を地の面に送ってください。聖霊の助けがなければ、人はイエス様が救い主だと心に迎え入れて、口で言い表すことができないからです。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン」