Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

年間第3主日

2024年01月21日

福音箇所 マルコによる福音書1・14-20

ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

メッセージ

担当者 押切・小牧・守山教会 鄭 有喆 神父

教皇フランシスコは、2019年9月30日の教皇書簡「アペルイト・イッリスAPERUIT ILLIS」によって、年間第3主日を「神のことばの主日」とすると発表され、翌2020年1月から「神のことばの主日」が始まりました。今年は5回目ということになります。

 

ご存じのように、2020年の初めから、わたしたちは新型コロナウイルス感染症を経験しました。コロナ禍の中で、ごミサは中断され、秘跡に近づくことが中々できませんでした。皆が集まって聖書を朗読したり、詩編を歌ったりすることはできませんでした。さいわい、パソコンやスマートフォンを通して聖書を読んだり聞いたりすることはできたのです。その経験の中で「神のことば」に癒され、「神のことば」を見つめ直す良い機会をいただいたのではないかと思います。そう振り返りながら、今日の福音を分かち合ってみたいと思います。

 

アメリカの映画俳優にシャーリー・マクレーンという方がおられます。昔の映画ですが、「八十日間世界一周」、「アパートの鍵、貸します」などで主演をされた方です。そんな彼女がテレビ番組でインタビューを受けたのですが、その内容がある本に載っておりました。さすが、アメリカというキリスト教国ならではのインタビューでしたが、「『天国に行った時、あなたは神様にお会いするでしょう。その時、神様から何を言ってもらいたいのですか?』という問いに対して、彼女は『一つの言葉だけで十分です。あなたは今までずうっと天国にいましたね』と言ってもらいたい」と答えておりました。

 

「あなたは今までずうっと天国にいましたね」。

 

彼女は現世とか来世とかいった区別にとらわれることなく、いつも神様と一緒にいると感じることが、最上の幸せだと考えていたんでしょう。現世と来世とでは、その状態にいろいろと微妙な差があるかも知れませんが、神様との交わり、神様と一緒にいるという自覚があれば、そこが天国の状態であるという彼女の信仰は、本物というか、羨ましいと思いました。

 

今日の福音は「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた』」で始まります。

 

「神の国」。「神の国」は、言うまでもなく、イエス様の宣教活動において、もっとも重要な位置を占めております。イエス様の存在そのものが神の国の到来を現すしるしですし、イエス様の貧しい人を心にかけ、苦しむ人・悲しむ人を憐れみ、病気の人や罪人を癒された、その救いのことばと愛の行いは、神の国がどんな状態なのかを垣間見せるものでありました。

 

イエス様は、「神の国」はいつ来るのかと人々に言われますと、「神の国は、見える形ではこない。ここにある、あそこにあると言えるものでもない。神の国は、実にあなたがたのただ中にある」(ルカ17:20〜21)、「神の国」はあなたがたの心の中に、互いに愛し合う者同士の中にある、神が共におられるから、と答えられました。弟子たちに祈りを教えられた時も、まず「天におられるわたしたちの父よ、…み国が来ますように」と祈りなさい、つまり、神様が愛によって治めておられる神の国が、この地上においても実現していくように祈りなさい、と教えられたわけです。

 

しかしながら現実の世界を見ますと、私たちの世界は、いつの世も「地上の国」であって、競争が絶えない「競争社会」です。私たちは生きていくのが精いっぱいで、時には目先の楽な生活ばかりを求めて、神の国への憧れは死後、死んだ後に追いやってしまいます。今は仕事があって、家族の世話もあって、忙しくてそれどころではない。戦争や災害があって、つらい病気にもなるし、神様にお会いする時間の余裕なんかはあまりない。だから、天国があるなら死後ゆっくり満喫させてください。本当に神様がおられるなら、その時にお願いします、と思いながら生きているのではないかなと思うんですね。

 

イエス様は、「時は満ち、神の国は近づいた。福音を信じなさい」とおっしゃいました。この「神の国は近づいた」は、多くの英語版の聖書では「The kingdom of God is at hand」となっております。「もう神の国は手の中に来ている」と翻訳してもいいかも知れません。そうですね、たとえば、御聖体を拝領するために手を出しますと「キリストの御体」と言われながら、出された手の上にご聖体を載せてもらいます。そんな感じかも知れません。確かにまだ食べてはいないが、もう手の上にイエス様の御体(神の国)が来ている。だから私たちは喜んで「アーメン」と答えて、それを拝領する。「神の国はもうここに来た。だから心配ないよ。大丈夫だよ。安心しなさい。」これがイエス様のメッセージであり、それを聞いた人々の喜びが、キリスト教を今日まで支え続けてきたのではないかなと思うんですね。

 

ごミサ・感謝の祭儀。長かったコロナ禍の中では皆が集まって一緒に捧げることすらできなかった感謝の祭儀において、聖別された小さな白いパンを自分の手の中に迎えながら、あ、ここに神の国が来ている、これを拝領することによって私は神様と共に生きることになるんだということを、もう一度、噛みしめたいと思います。そして、今日の福音の中で、「神のことば」を延べ伝えるために選ばれた4人の弟子たちのように、私たち一人ひとりが「神のことば」をしっかりと述べ伝える弟子として生きることができるように、今日の答唱詩編のように、「すべての人の救いを願い、わたしはあなたを待ち望む」(詩編25)と願いながら、今日一日を過ごして参りましょう。