Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

年間第6主日

2025年02月16日

福音箇所 ルカ 6・17、 20-26

〔そのとき、イエスは十二人と〕一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から〔来ていた〕。さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

メッセージ

担当者 港教会 山野 聖嗣 神父

みなさん、こんにちは。今日は、年間の第6主日となっています。今日の福音書は、有名な山上の説教の一部です。そんなに高い山ではないのですが、イエス様は、その山の上の方から地声で話されています。弟子たちやユダヤ全国から集まった民衆に向かって、説教された話です。約2000年前は、現代では普通にあるマイクとかスピーカーとかがありませんでした。イエス様は、山の上から民衆に向かって自分の声で話されています。イエス様は、大工職人でしたから、体はがっちりしていて声も大きかったのかなと思います。今日の福音書箇所では、○○は、不幸だと繰り返し話されています。この「不幸だ」と日本語に翻訳されているギリシャ語を日本語に直訳すると、「ああ、悲しいこと」となります。昨日、妹から私の携帯電話に電子メールが来ていて、「悪い夢は、人に話した方がいいので」というタイトルで私にメッセージが届いていました。私は、「へえ、悪い夢は、人に話した方がいいのか。」と、私は初めて知りました。私は、気持ち悪い精神状態を健康な精神状態に戻すために、世間では、そんなふうに自分のストレスを人に話して発散できるのかもしれないとも考えました。返事はいらないので、話の内容だけ読んでくださいと前置きがありました。何だろう、改まってと私は思いましたが、妹の夢の今朝見た夢ということで、昨夜、妹が見た夢の話でした。その妹が見た夢の話を簡単に要約すると、「私のうなじをお兄ちゃんから、つまり、私が妹の後頭部の下の首のところを私からナイフで刺された。そして、私たちの父親からその現場を発見されて、妹は病院へ搬送された。途中で、警察に捕まって目が覚めた」という内容でした。私は、妹の夢の話を内容を読みながら、「おい、おい、おい!」と、「私が犯罪者なのかい!どういうことやねん!」と1人ツッコミのメールを返信しようかと思いました。しかし、妹のメールの前置きから、返事はいりませんとあったので、返事のメールは送りませんでした。私がストレスを感じました。他人の夢の話は、面白いなと思いましたが、逆に聞いた人がストレスが溜まる場合もあると思いました。他人の夢の中に、自分が登場して、良い話だったら、とても、とても嬉しいですが、悪さをしている自分が他人の夢の中に登場したと話を聞くと、無性に悲しくなります。1つ下の私の妹も純心聖母会で修道生活を送りながら、幼稚園の管理職をやりながら、たくさんのストレスを抱えているんだろうなと、その夢の話のメールを読みながら、可哀そうに思いました。私は、能天気なのでほとんど楽しい夢しか見ないし、楽しい夢もショッキングな夢を見てもすぐに忘れてしまうので、夢を覚えている人が大変だなと感じます。しかし、旧約聖書に登場するたくさんの預言者たちは、夢の中で神様や天使からのお告げを聞いたりする人たちが登場します。今日の第1朗読の預言者エレミヤや第2朗読のパウロも、幻視を見た経験があると聖書に書かれています。また、旧約聖書で有名な人物は、他人の夢を解読する預言者もいて、ヤコブ(イスラエル)の12人の息子のうち、11番目のヨセフは、エジプトの王様の夢を解き明かしてエジプトの総理大臣になっています。また、預言者ダニエルは、外国の捕虜として捕まっている時に、その国の王様の夢の内容を解き明かし、その王様から大切にされ保護されています。

 さて、イエス様の時代でも、イエス様の養父であったヨセフ様は、夢に天使が現れて、天使に言われた通りに、マリア様と結婚し、マリア様と赤ちゃんのイエス様を守るためにエジプトへ逃亡もしています。このヨセフ様の働きによって、マリア様もイエス様も守られていました。ヨセフ様も亡くなり、イエス様は、大人になることができました。イエス様は、今日の福音書にあるように何千人もの弟子たちに向かって説教をされています。貧しい人たち、食べ物に飢えている人たち、泣いている人たち、神様を信じるために他人から憎まれ、ののしられ、汚名を着せられる人たちは幸いですと話されています。逆に、裕福な人たち、満腹な人たち、笑っている人たち、神様を信じる人を迫害して、褒められる人たちは、「ああ、悲しい」人たちだと話されています。人間的なこの世的な幸せだけ、という視点ではなく、肉体が滅びた後も霊魂としての永遠の命、神の国の世界があるという視点から、イエス様は、説教をされています。

 今週、イエス様の弟子として私たちは、この世的な喜びだけに意識を向けるのではなく、永遠の命を意識しながら生活しましょう。