Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

待降節第4主日

2024年12月22日

福音箇所 ルカによる福音 1章39~45

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

メッセージ

担当者 押切・小牧・守山教会 早川和彦 助祭

アドベントキャンドルの4本目に火が灯りました。このローソクはキリストの希望、平和、喜び、愛を表しています。クリスマスはもうすぐです。
今日の福音にはマリアとエリザベト、二人の女性のみ描かれています。この二人の女性にはいくつかの共通点があります。ともに聖霊によって男の子を身ごもっています。名前もすでにイエスとヨハネと決められています。また、人類の救いにかかわる使命を神から託されています。たぶんこの二人の女性は生まれてくる我が子の誕生を楽しみにしていたと同時に、懐妊した経過を考えればとてつもない不安を感じていたこと思います。
マリアはエリザベトを訪問し挨拶します。どんな挨拶だったのかは書かれていませんが、自分が天使ガブリエルから受けた挨拶と同じようだったかもしれません。「おめでとうございます。よかったですね、神様のお恵みで男の子を授かったのですね」だったかもしれません。このマリアがエリザベトを訪問した時が胎内にいたとはいえイエスとヨハネの最初の出会いともいえるのではないでしょうか。マリアがエリザベトに挨拶したとき「胎内の子が喜び踊った」と書かれています。人は喜びがあまりにも大きいとき、その喜びを踊りで表現するもののようです。鎌倉仏教の一つ時宗の開祖一遍も阿弥陀様に救われているという喜びを踊りで表したようです。踊念仏ともいわれています。それはさておき胎内のヨハネも救い主がお母さんとともに訪ねてきてくれた、救いが訪れた喜びにお踊らざるを得なかったのかもしれません。この喜びこそ良き訪れ福音なのです。イエスとヨハネについてもう少し考えてみたいと思います。ザカリアは天使ガブリエルから、生まれてくる我が子ヨハネについてこう告げられます。「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせ、準備のできた民を主のために用意する」人になりますと。また後にイエス自身がヨハネについて「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」と評しています。またマリアも天使ガブリエルから、生まれてくる我が子についてこう告げられます。「その子は偉大な人となり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる」人となるのですよと。
イエスとヨハネはこのように生まれる前からこのように告げられ、大いなる使命を持って生まれてきたのです。しかしそれから約30年後、33年後二人は悲劇的死を遂げます。ヨハネは、ヘロデ王の誕生祝賀の余興で、へロディアの娘があまりにも上手に踊りを踊った褒美にヨハネの首を所望されて斬首されています。イエスも長老、律法学者ら、ユダヤ社会の指導階級の人々やそれらに扇動された群衆によって十字架刑に処せられます。しかし、イエスの死が死にとどまらず、永遠の命に至ることが示されます。復活です。イエスの誕生を記念するクリスマスを間近にひかえ、ヨハネの回心を呼びかける荒れ野の叫びを聞き入れ、イエス・キリストが示された救いの道を歩む決意を新たにしましょう。