Catholic Diocese of Nagoya

福音のひびき

The sound of the gospel

復活節第4主日

2024年04月21日

福音箇所 ヨハネによる福音 10・11-18

〔そのとき、イエスは言われた。〕「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。(狼は羊を奪い、また追い散らす。)彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

メッセージ

担当者 名古屋教区司祭 平澤忠雄

 今日の第一朗読(使徒言行録4:8-12)では「救い主以外の名によっては(救い)は得られない」と言っています。
 今日の福音の朗読(ヨハネ10:11-18)で、イエズス様はその救いの方法を教えておられます。イエズス様はいけにえの羊となって私たちのために御生命をお与えになられますが、それは私たちに対する愛の証拠であります。
 その上、もう一つ大切なことが強調されています。それはこの救いが、すでにこれを得た教会の柵内にいる私たちのためだけでなく、「柵内にいない他の羊」のためでもあるということです。
 「彼らをも連れて行かねばならない」と言って、イエズス様はご自分の使命を示しておられます。

 キリストを信じながら、分かれた教会も、あるいはまたキリストを信じることさえしなかった人々も、「イエズス様の御声を聞いて、一つの群れ、一人の牧者」とならねばならないのであります。この目標が実現して、神の国が早く来るようにカトリック司祭・信徒は祈りと犠牲を捧げると共に、信者間の和合という手本をもって「離れた兄弟」を導きましょう。