1月1日、日本では元旦と言われ、伝統的には初詣に神社仏閣に参拝に行く習慣がありますが、カトリック教会では、ローマの古い伝統に従い、「神の母聖マリア」の祭日としてお祝いします。
さて、福音書はルカ2・16-21ですが、21節にある通り、「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。」とあります。ちょうど1月1日は降誕八日目にあたります。
「神の母」というマリアの呼称はどこから来たのでしょう。聖書を探しても「マリアは神の母」とはっきりと示している箇所はなさそうです。しかし、お告げの場面をみると、「その子は・・・いと高き方の子と呼ばれる。」さらには「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ1・32,35参照)と天使ガブリエルはマリアに告げます。
この呼称は2世紀頃には祈られていたと言われている「神の御母よ、わたしたちは」Sub tuum praesidiumという祈りで用いられていました。「神の御母よ、わたしたちはご保護を仰ぎます。いつ、どこでもわたしたちの祈りを聞き入れ、御助けをもって、すべての危険から守ってください。」と古代の教会の信徒たちは、危険、特に迫害によって身に迫る危険に対する神の母マリアの保護を願っていたのです。
マリアは「母」としてご自分の御子、幼子イエスを夫ヨセフとともに守っておられたことは確かです。ヘロデ王に命を狙われた幼子を連れてエジプトへ難民として逃れたりしました。
マリアの呼称「神の母」は教会によってAD431年のエフェソ公会議で正統であると認められました。この呼称は父と子と聖霊の三位一体の神の位格のひとつ「子なる神」の母であるということを示すものです。「神の母」という呼称の大きさを思うとマリアには何か近寄りがたいとも思えるのに、最近、Netflixで見ていた「The Chosen」~選ばれし者~というドラマでは、イエスの公的生活と弟子たちとの出会いが描かれ、カナの婚宴のエピソードもあって、教会で見かけるご絵やご像の華やかな姿ではなく、当時その地方にいたであろう女性の姿、招かれた家でその家の人たちと宴の準備をしている身近で親しみやすい姿で描かれています。
マリアが「神の母」と呼ばれる方になったのは神の特別な恵みなしにはあり得ません。その恵みは、彼女が何か神の目に善なることをしたからではなく、神の永遠の救いのご計画の中での、その一方的で寛大な愛の御心によるものです。聖アンセルモは「すべてを無から造ることのできた神は、それらが(罪によって)傷を受けたとき、マリアを通さずして再興させることを望まれませんでした。」(無原罪の聖マリアの日の読書参照)と言っています。この特別な恵みはまったく神の望みによるものです。
マリアは私たちのごく身近にいるような一人として日々を暮らしていたと思いますが、彼女の人生には天使の出現とお告げ、親戚のエリザベトの懐妊とその子の誕生にまつわる不思議、そして天使のお告げのとおり誕生したご自分の子にまつわる不思議が次々とありました。受胎告知の際にマリアは、その後に起こる全てのことを知らされたわけではありません。シメオンやアンナの預言もはっきりとは理解できなかったと思います。12歳のイエスがいなくなった時でさえも、ヨセフ様と一緒になって必死に探し回り、見つけた時に、イエスの「わたしが父の家にいるのは当たり前」(ルカ2・49参照)という言葉の意味がわからなかったとあります。「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ2・19参照)のです。
彼女は天使に最初に告げられた「恵まれた方、主があなたとともにおられる。」という神のメッセージを信じ続けたから、与えられた特別な恵みによってご自分の人生における重要な場面ごとに、たとえその出来事に心が揺り動かされたり、乱されそうになっても、神のみ言葉を思い巡らし、ご自分に降り、その力でつつんでくださった聖霊に聴いておられたのでしょうし、いつもともにおられる主なる神のうちに留まって、心に平安を得ていたのでしょう。私たちも同じ聖霊に満たされ、マリアの信仰に倣いながら、ともにいてくださる神「インマヌエル」のうちに心の平和を得て、日々を生きていけますように。