聖家族の祝日に当たって、マリアとヨセフの優れたことを取り上げて聖家族の二つの特徴を注目したいと思います。
まず、神の元にわが子を奉げる。
聖家族は全員そろって、神の神殿の元に祈るということは、聖書の中にしばしば出て来るのです。まず、一つ目は、マリアとヨセフは幼子イエスを産まれてから、40日目に神殿のもとに行って、わが子を奉げたのです(ルカ2:22-40)。そして、もう一つの姿は12歳になったイエスをエルサレムへ行って、一緒に巡礼していたのです。この聖家族の行動は単なる律法の規定やユダヤ教の慣例に従うためだけでなく、むしろ、神殿の存在が人生の大切な居場所であることをわが子に教え、深く意識させるためです。子どもに幼い頃から信仰を教え、宗教的な務めを果たすことの重要性を伝える模範となります。
次に、夫婦間の相互の信頼関係。
「旧約聖書の象徴的な夫婦関係」という(アダムとエバ)の出来事を考えてみると、「エバ」はアダムから抜き取った「あばら骨」で、造られた者だと聖書に記されていたのです。しかし、夫婦として、また家族として、うまく行かなかったのです。それは、やはり何よりも、互いの信頼関係が薄い、心と心とのつながりが浅かったからです。お互いの気持ちが一致していないから、何か誘惑が起こった時に、すぐに崩れていたのです。しかも、問題が起こったら、互いに批判したり、批難したりしたり、責任を転嫁し合ったりしたというアダムとエヴァとの関係でした。しかし、「新約聖書の象徴的なの夫婦関係」という(マリアとヨセフ)は、まったく違いました。マリアは、エバの出来事のように、「ヨゼフのあばら骨」で造られた者としてではなかったのです。ヨゼフとマリアとの関係は複雑でした。「二人は婚約していたが、一緒になる前に、聖霊の力によって、マリアが身ごもっていた」と聖書に記されています。つまり、マリアの胎内に宿った子は、自分の子ではなかったことをヨゼフ自身が分かっていたのです。人間的になかなか理解しにくかったし、父系文化の社会に生きていた者として、ヨセフにとって大きな恥であり、恥辱とみなされたと思います。しかし、信仰深いヨゼフは天使に指示に従って、これらの壁を乗り越えて、積極的にマリアのことを認めて、受け入れたのです。しかも、ヨゼフにとって、このマリアの不思議な出来事は、“トゲ”(恥)ではなく、“バラ”(美)であると前向きな思考を転換しました。お互いの信頼があったからこそ、人生に直面した試練や困難(ベツレヘムへの旅と出産、エジプトへの逃避)などをすべて乗り越えて行くことができたのです。この信頼関係は二人にとって夫婦間のかけがえのないのものだと思います。
最後に、夫婦にとって幸福な家庭が結婚の目的であり、人生のゴールであると言われています。しかし、聖書によると、それは結婚の目的ではないと言っています。あくまでも、幸福な家庭は結婚の実りの結果なのです。つまり、聖書が示している第一の結婚の目的は、愛の内に、互いに尊敬し合い、支え合って、助け合うということです。これが結婚の目的であり、大切なところです。夫婦は互いに尊敬し合い、支え合って、助け合うことができるなら、結果として幸福な家庭になるのです。「あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、思いやりの心、親切、へりくだり、やさしさ、広い心を身にまといなさい。お互いに耐え忍び、だれかに不満があったとしても、互いに心からゆるし合いなさい(新約聖書のコロサイの手紙 3:12―13)。」
どうか、聖家族の模範に倣い、いつも、どんな時も、夫婦間、親子間、兄弟間の上に愛と信頼が深められますように。アーメン。